Vol.3 佐藤公哉 × 居間 theater
音楽家、佐藤公哉[表現(Hyogen)]と2人のダンサーによる、一夜限りのものがたり。
音楽家 佐藤公哉[表現(Hyogen)]氏は、その存在の強さが一際目をひく。
ダンスのためのバックミュージックではなく、佐藤氏の音楽の背景としてダンスを存在させてみる。
音楽家の身体は、その中に物凄い密度で「音」が内在しているのかもしれない。
ダンサーの身体で、その密度を「空間」に広げてみよう。
「家具のダンス」の試み。あるいは、舞台美術、背景、風景としてのダンス。
ダンスのためのバックミュージックではなく、佐藤氏の音楽の背景としてダンスを存在させてみる。
音楽家の身体は、その中に物凄い密度で「音」が内在しているのかもしれない。
ダンサーの身体で、その密度を「空間」に広げてみよう。
「家具のダンス」の試み。あるいは、舞台美術、背景、風景としてのダンス。
居間 theater。 居間という言葉には包容力がある。 人、動物、植物、その他のなにかが「居る空間」。日常的な居住空間のイメージとは切り離せない言葉だけれど、「居間」という字面が語っているのはそれだけ。theaterと並んでいると、そのおおらかさに目がいく。 実際に舞台になるのは、飲み食い、言葉を交わすためのカフェと、美術作品に触れるためのギャラリーが同居する越境的な空間。そこに踊り手が「居る」ことによって、その空間を劇場とする。そんな企画に、音楽家として参加させていただいた。 振付家から提示されたダンスのコンセプトは「家具のようなダンス」。音楽家としての私に提示されたのは「ディナーショウ」(笑)。 振り付けは当然ボンテッジドで、2人のダンサーはソロを踊る際の他、ほとんどの時間ギャラリー奥の壁沿いで踊る。対して私はのっけから前面に出張 り、時にサンドイッチでおなかを満たした客席の方へ入り込みながら演奏するのだ。するとどうなるかというと、(客観的には観ていないのでたぶん、)ダン サーの体がファンタジックになる。非日常的だったり、超人的だったりするいわゆる「ダンス」の高揚を排した振り付けであるにかかわらず、前面にある生々し い音楽家の体の奥で、ほの暗い壁に絵のように張り付いたまま踊られるそれは、容易には触れ得ない神秘性を持っていたと思う。確かに、「家具の音楽」を発祥 とするといわれている「アンビエント・ミュージック」の多くが、ボンテッジドであり且つファンタジックなのと同じだなあと、公演からひと月以上たった今気 づく。 たぶん私もそれを予見していなかった訳ではなく、急遽ダブミックス/エレクトロニクスの大和田俊くんに音楽のレイヤーを増やしてもらうようお願いしたの は、前面の音楽家の体と、後方の「家具のダンス」を、音楽が繋いでいくために必要な広がり、重層性を求めてだったのだと思う。 「家具のダンス」は、アンビエント・ミュージックのコンセプトと同じく、観ても観なくても、客席があっても無くても良いのかもしれない。だから、ど こにあっても良い。字面だけ取れば、すべての場所が「居間」と呼べるのと同じように。人はどこでも劇場にできる。ファンタジックな奇跡はすべての日常にあ る。それに気づいて行くためのプロジェクトなのかもしれない。 「居間 theater」とは、「人生は舞台だ」の言い換えなのだなあと今気づく。 - 佐藤公哉 |
2013年7月25日(木)20:00 〜
会場:HAGISO
振付:稲継美保
出演:山崎朋、新庄恵依
音楽:佐藤公哉(表現(Hyogen))、大和田俊
音響:大杉拓真
記録写真:聞谷洋子
記録映像:みかなぎともこ
制作:東彩織、宮武亜季
協力:小田原亜梨沙、山本高久