だれが残すのか、なにを残すのか、どう残すのか:Page⑦質疑応答:OS、飲食、etc….宮武:今、𡈽方くんが横から言っていたんですが、この中でジャイアント食堂をお客さんとして経験してくれている人がいたので話を聞けたらいいなと思ったんですけど。
何がジャイアント食堂の記録として残ったらいいかなっていうのを今、話しているんですが、体験した身としては何が残ってると面白いと思ったとか、雑感でいいので教えてもらえませんか。 観客1:台本は、音楽でいうと楽譜とか、ジョン・ケージの紙みたいなものじゃないですか。同じことは全く再現できないけど、再現可能性は残っていて。100年後とかにその台本を元にまたリメイクされて再演されるとかは非常にいいし、その可能性を残しておく意味において、記録としての作品みたいな可能性が、台本があることで担保されている。 ジャイアント食堂の時に思ったのは、この空間はこういうプログラムというかアルゴリズムというか、そういうものとセットでないと使いこなせない場所なんじゃないかと思ったんです。ただ空間として放り出されていても、大きい空虚になってしまうから、そこに何か、楽譜というか使い方の補助線がコードとして書かれていないと使いこなせない場所な気がしていて。 ハードにそういうOSをインストールしていくみたいな作業をしていかなきゃいけないと思うんですよね。だんだんアップデートしていくことで、この場が本当の意味で使われていくってことに近づいてく気がしました。だからこれから、ジャイアント食堂的なイベントをいかに省エネルギーで頻発させられるか、みたいな。OSがインストールされてアップデートされていくと案外できていくかもしれないし、そうなっていくといいなと思いました。 東:ありがとうございます。八戸市美術館ではジャイアント食堂の後に、11ぴきのねこの『まるごと馬場のぼる展』という展覧会を開催していて、盛況だったと聞いています。その写真を見せてもらった時に改めて、ジャイアントルーム自体はもっと地元の人たちに使われていったり、時に大問題とかが起きて、といったことが起こっていくはずだろうと思いました。 ジャイアントルーム自体に何かが蓄積されていった先に、このような作品やイベントをやるならば、作品も変わらざるを得ないだろうとすごい思います。日々ジャイアントルームがどう使われて、どういう人が来て、どういう人が来ていないのかを踏まえていかないと、同じことをやったとしても、すでに皆が馴染んでいるかもしれないし、場合によってはすごい嫌われているかもしれないし。普段から利用していてボスみたいな人がいる可能性もあるかも。 ジャイアントルームや美術館自体の経験の蓄積と、催事や作品が上手く折り合っていくために、骨組みかコードかは分からないですが、そういう指針みたいなものがあるといいのかなと思います。 𡈽方:そういえばナチュラルに話しているけど、美術館内でそもそも飲食がOKってことだったりとか、飲食している横に絵があったりとか、普通に美術館だったらアウトなんですけど。館内で飲食OKなのは元から八戸市美術館がそういう仕様でつくっていて。 そこで絵を展示して、絵の横でご飯を食べてもOKにジャイアント食堂はしている。普通だったら、絵の前に(パーテーションで)結界を張ったりとかしますが、そういうのをなしにして、しかも移動させたり。そういうことができていること自体が、かなり特殊な、普通の美術館だとできないことで。それを美術館や様々な行政的な手続きと反発し合うことなく、ちゃんと美術館と一緒にやっていくことができているのが居間 theaterがすごいなっていうのを思いながら、現場で一緒にやっていました。 東:補足すると、絵の展示は変なトリックになっていて。ジャイアント食堂の先に「ホワイトキューブ」という、いわゆる美術館の展示室があります。空調管理がされていて、可変性のある壁で作品を展示できるような設えになっている。美術館の収蔵作品は、収蔵時に定められた環境管理のもと展示されなければならないという厳密な規則があるので、美術館の収蔵作品はどれもジャイアントルームに出せないとのことでした。でも街の中の、空調・環境管理がされていない場所にある展示物なら借りてきて展示できる、と。市役所の渡り廊下にある、陽の光が当たるところに架かってる絵は大丈夫だったんですね。それで皆ですごく面白くなったんですけど。美術館としての厳密なルールと、それとは別の角度からできることの両方があって、そこは八戸市美術館の寛容なところだと私は思いました。
あとは、市役所に寄贈された絵で、(美術館には収蔵されずに)倉庫で眠っているものもあって。日の目を見てない絵が色々あることが分かって、それ自体は収蔵作品を展示することとは別の角度で意味があったと感じています。作品の扱いや価値が明らかに異なったりしていて、それはすごい面白かったです。 宮武:借りてきている作品は、八戸市美術館がコレクションしている作家さんの作品です。美術館が収蔵している作品はその厳重な管理のもとに出さなきゃいけないっていう規則がある一方で、街の中にあるものは同じ人が描いたものでも全然違う扱いでいいっていうのが、面白いなあって思いました。
東:でも、今𡈽方くんが言った飲食の問題も、我々からしたらすごい面白いんですが、美術館で飲食ができるという時点で、ある層には「そういう美術館ね」みたいな見られ方をする場合もあるらしいんですよね。つまり、国立西洋美術館のような、厳しい管理のもと美術作品のみを鑑賞するところとは違うのね、みたいな見え方・言われ方をする場合もあるということを聞きました。美術館という場のどこに価値を置いているか、どこに重きを置いているかが、一括りに美術館と言ってもいろんなバリエーションがあるんだなと。お客さんの中にも人によっては、言い方は悪いかもしれませんが、高尚な、芸術的なものを見たいといった意見ももちろんあるそうです。ジャイアント食堂でも、どれかは分かりませんが庶民的な行為みたいなものに対して、「こういうのが見たいのではない」という意見もあったそうです。色んな価値観があってそれは大事だし面白いなと。余談でした。 𡈽方:展示室では飲食不可? 宮武:展示室では飲食不可です。エレベーター前のラインから奥がダメというルールでした。床に注意書きを貼っておきます、くらいな感じだったんですけど。 東:美術館の展示室って、作品を見る時のお客さんの距離感とか、ペットボトルも飲んじゃいけない緊張感とか、何となく身についている身体感覚とか振る舞いがあるじゃないですか。でも今回やってみてよく分かったんですが、ジャイアントルームで絵を展示しても、音楽が鳴っていたり周りがご飯食べていたりするので、誰もその身体感覚にならないんですよね。絵を見る時の適切な距離感とか態度とかがバグって崩れていて。そういう空間の中では、いわゆる美術を見る、作品と対峙するだけじゃない態度が発生せざるを得ないんだなと分かりました。 我々ばかりがお話ししてすみません。皆さんの中で何かお話ししたいことがある人はいますか? どうぞどうぞ。 観客2:私はずっとサラリーマンをやっていて、一般市民としての感想ではあるんですけど。これを見ていて、地域密着型のローカル百貨店とかホームセンター的なところで年に一回ある、地域住民へのご奉仕の祭りイベントと同じようなものだと思いました。 自分が住んでいた世界だと、美術館に行くとかアートに興味のある人って、100人に2〜3人なんですよ。ましてやアートパフォーマンスなるものがアートなんだっていう意識の人は1000人に1人の感覚の世界で。そういう中で、年に1回くらい、そういうところで一般市民も楽しめるんですよって、お祭りをするっていう風に見えるんですね。それはそれでいいと思うんです。それをアート作品としてフレーミングしたい、アーカイブとして保存していきたいという思惑がある時は、映像作品とか、参考になる資料をつくればいいと簡単な話だという風に、一般市民としては思いました。皆さんはそういう感覚に対してどう思いますか。 𡈽方:私は八戸市美術館の関係者ではないですし、八戸市美術館の設計に携われた森純平くんがいる前でこうした発言はおこがましいかと思うのですが、一般市民ということですと、八戸市美術館のもう一つの特徴として改築前の旧美術館を設立した経緯も市民側からの要望もあってスタートしています。(改築時も)もし観光地として客寄せ的なことを目指すのであれば、国内の有名なアーティストであったり海外のビッグネームの作品を収蔵して常設したりすれば、人も来て収入にもなるという感じなんですが、八戸市美術館の場合はそういうことをせずに、ジャイアントルームというスペースをつくったことによって、市民が主役になり、色んな活動ができる、活躍できる美術館として設立したという背景があります。 市民の方々がこの新しい美術館で自分たちのやりたいことをどうやって実現できるか模索をしている中で、今回の「ジャイアント食堂」をやることによって、「こういう使い方を自分たちもしていいんだ」と可能性を提示した機会だったかなと思っています。その記録を次に繋げることは、もちろん今おっしゃったやり方は簡潔なんですが、文化芸術の文脈の中でのアーカイブということだけでなく、誰もがアクセスしたり再現することができる形のアーカイブについてもう少し考えることでより良い何かになるかもしれない。 結論をすぐ出すのではなくて今回のトークのようにいろんな人の話を聴きながらやっていった方が、今後の美術館や八戸のためにも何かなるかなという風に思いながら、考えを整理していく、というのが今日の会だったかなという風に思っています。 宮武:もちろん、市民向けの催し事という側面を目掛けてこられた方が多かったですし、私たちもそれをやりたかったんですが、同時に、来られた方にとって「やっぱりここは美術館だったんだ」っていう印象を最終的に持って帰ってもらいたいと思ってやっていました。まず美術館に来てもらうきっかけになるために、イベントとしての側面を強くしました。美術館だから自分は関係ないと思っている人も、「じゃあこのイベントだったら行ってみよう」と思って行ってみて、お祭りだったし楽しかったんだけど、そこで体験したことはやっぱり美術館じゃないとできないことだったんだ、ということを持って帰ってもらおうとつくった作品です。それをうまく残せたらいいなと、思っています。 観客2:文化普及活動、文化行政みたいなこととしてやる、ということですかね。一般的な美術館とは違うことを提案して、皆で使い方を模索していって、市民にも楽しんでもらおうっていうようなことですか? 宮武:そうですね。実際に来ていただいた方で、「自分だったらこれやってみたいんだけどできますか」という相談なんかも、実際に美術館に来ているそうです。そういうことが増えていくきっかけになればいいなというのは、一番初めのモチベーションではあります。 東:ありがとうございます。時間がきたのでそろそろ終わろうと思います。 コロナの影響はもちろんのこと、色んな過渡期にある八戸市美術館でやらせていただいたところから、こういうものがどういう風に今後やっていけるのか、どういう風に残していけるのかを、今日はブレインストーミング的に皆で考えさせてもらいました。皆さんもお付き合いいただきありがとうございました。 「こうしたらいいじゃないか」みたいな話が出たので。これを踏まえて記録や寄贈内容もアップデートをしていけたらと思います。ありがとうございました。 |