だれが残すのか、なにを残すのか、どう残すのか:Page⑥
催事の継承、「やり方」の継承?𡈽方:再演に捉われずにアーカイブっていう形だけで考えれば、アーカイブを美術館に寄贈するっていうのが多分一番すんなりいくように思います。アーカイブを再展示する権利だけ渡して、もう一度やる場合は、「新規依頼の場合はこういうような条件で」っていうような形でしか、ジャイアント食堂はちょっとやりづらいのではないのかなって思ったりしますね。
実現するために必要な日程・予算・要素みたいなものを洗い出すと、多分これぐらいの準備期間と人員と予算が必要で、この時期にやったらこういうような効果がある、というような。 ジャイアント食堂をもし仮にもう1回やるとしても、それがどれくらいやりたいことなのか、意味があるのかっていうことも、恐らく少しあるのではという気がしていて。同じことを2回やるのは、完璧には不可能なので。アップデートするかダウングレードするかどっちかになる。そうなると、新しいものにしていくか、みたいな感じでやっていくと思うので。 なので、まず今回のジャイアント食堂はこれで一つのまとめ、みたいな形がスマートなのかなっていう風に思ったりしてました。 東:なるほど、それはごもっともな気がしてきましたね。
ちなみにですが、やり方とか面白さみたいなのを渡せるのか?という話もあったんです。例えば一度誰かと一緒にジャイアント食堂をやって、「次回からは是非お好きにやってください!」みたいなことが可能なのか、とか。 実際のところ、地元の人たちに出演してもらっていて、キッチンカーを呼んでくれたのも美術館の職員さんですし、一緒に運営してくれたのは美術館の学芸員さん・職員さん達と、案内員さん・総合案内さん、みんなでやってくださったので。責任を放棄したいとかそういうわけではなくて、やり方が面白く伝わっていくといいなとは思ったり。 宮武:さっき加藤くんや冨田くんが言ってくれた、居間 theaterの作品では催し事と上演の両方のグラデーション、来る人も100%催し事目的の人もいれば、100%作品だと思って来ている人もいて、そのグラデーションがうまれるような仕掛けをしている。っていうのを居間 theaterは結構面白がってやっている。作品の中でも、出演者がすごくアーティスティックなことを(自分達も含めて)やっていたり、もうちょっと市民活動的にやっている人がいたり、ワークショップだったり、カラオケだったり、本当に子どものお絵かきだったり。そのグラデーションの種類と幅っていうのがたぶん居間 theaterの特徴なのかなってさっき聞いて思って。自分達で記録を残すって考えると作品・上演をどう残すかって考えていたけど、実は「幅がある」っていうところを残せたほうが居間 theaterの作品をアーカイブとして残すんだったら重要なポイントなのかもしれない。たとえば今東が言ったように、今後、来年は自分達がやるとして、再来年以降誰かに渡していくとなるとそのグラデーションの部分がやる相手によって変わっていくんだろうか。みたいなことを今聞いてて思いました。 だから残すものもそれをどう入れるのか? 居間 theaterがそこをどう考えてるのかみたいなことが入っているといいのか?悪いのか?分かんないですけど。みたいなことを考えた方がいいのかなあって。 東:実際に、祭り系のイベントとかアートプロジェクトって継承されてる例ってあるんですかね。悪魔のしるしの『搬入プロジェクト』とか、プロジェクトを継承するみたいなことはあると思うんですけど。祭りを継承するみたいなことだと、もう祭りなんですかね。祭りを継承することになる? 加藤:難しいですよね。運営団体が変わってなくても中の人が変わっただけで、ガラッと変わっちゃうとか多い気がしていて。大御所アーティストがいるとか、最後誰かがガッとやることで何とかこう統一感を保っているみたいなのはいっぱいありますけどね。 あと、さっきのグラデーションの話に戻ると、僕はもうほぼ100で作品として撮っていて。というのも、催事の要素を撮ろうとすると催事感が強くなっちゃって。 東:イオンモールみたいなこと? 加藤:そうそう。よくあるじゃない、[楽しげな親子]みたいな。今回ジャイアント食堂ではほとんどそういうのは撮ってない。作品として撮るっていうのをすごく意識していて。催事はうしろに写り込めばいいくらいの感覚なんですね。記録が催事催事しちゃうと催事がどんどんどんどん侵食してきて作品としての要素がどんどん消えていっちゃうみたいなことが多い気がしていて。この絶妙なバランスをとって自覚的にやっているのは同世代で居間 theaterしか知らんっていうか。それを他のアーティストとかに伝わるようにしたいっていうのはすごく思ってます。やってほしいなって思ってます。 東:今回、1日に起こった出来事を1時間ごとに紙にまとめてみたんですけど。紙に起こすと、ジャイアント食堂には時間の区切り・舞台のキューがすごくあるのが如実に分かりました。冨田さんの映像も1時間を5秒で区切ってもらってますよね。我々はどちらかというと舞台系の出身なので、何かが起きる時に時間がきっかけになっていて、舞台のキューがあるんですよね。その間に色んなグラデーションがあるんですけども。 自分達が行動する時はきっかけで動いている。そういう意味では舞台の時間みたいなのが一つ特徴なのかなと思いますし、何か編集する時にも区切りの手がかりにはなる。 加藤:そういう意味で時報は絶対必要だったのかなって気がしますね。作品の中で本当は時報がもっと聞こえるはずだった。だけど館内放送のボリュームの問題であんまり聞こえなかった。 時報ありきで壁が動き出すとか。線のパフォーマンスは時報きっかけじゃないですよね? 東:9時半から30分間。面白いことに、人間は9時半にやるぞっていうと5分前くらいに集合しておくんですよね。カラオケコーナーの後ろくらいで「よし、いくぞ」、「まずはお前がこれを......」みたいな段取りがつけられて。場を動かしていく習性として面白いなと思った。お客さんも、ワークショップが10時からあるとしたら9時半くらいに来て、様子を見て10時から参加する、みたいな人が一定数いるんですよね。pacchiのライブが1時からあるとなると、みんな1時のために待っている。出来事をすごい待っていて、始まると皆それを見る。面白いなと思いました。 加藤:究極だったのはビンゴでしたね。すごい人数が30分以上前から場所取りを始めて。 東:ビンゴは12時から始まりますということと、大体この辺でやるということしか言ってないんですけど、皆ビンゴをめがけて来ていましたね。その時間、その出来事をめがけて動いているっていうのはすごく面白いし、それって美術館の時間とはちょっと違う、イベントごと・出来事の時間なのかなとは思いましたね。時間と時間の間にグラデーションがあったり波があったり、うるさい時もあれば静かな時もあるんですが、ポイントで時間を区切っていって、その時に何かきっかけが必ずあるというのはジャイアント食堂では大事なところだったと、今気付きました。 |