だれが残すのか、なにを残すのか、どう残すのか:Page③
上演の記録 ーー イベントとして記録されるイベント?加藤:居間 theaterは、ジャイアント食堂のことをなんと呼ぶんですか?
東:それは意見が分かれるところなんですが。居間 theaterとしては一つは、「上演」と呼んでいました。私が台本を書いた時は「催し事」と「上演」と言っています。台本の冒頭に、ジャイアント食堂は「催し事としての出来事」と「上演としての出来事」が同時に存在すると書きました。どうですか?宮武さん。 宮武:居間 theaterとしてはその両面を持つという意識の下やっていると思うんですが、私は主に催し事として運営をきちんとやるぞっていうモチベーションで1日動いているっていう感じでしたね。なので、全体がどういう雰囲気とか、どういう作品の時間が流れるかの部分については、東だったり、稲継の演出の目線だったり。あと出演してる山崎が演出、ディレクションしていく、とか。色んな人と関わってもらっていたので、私はその人たちとどううまくやっていくかをメインで担当していた感じですね。 東:台本に書いているのは、「催し事としてのイベント」という言葉です。eventって「催事」っていう意味もある。イオンとかにある「催事」と、いわゆる出来事とかパフォーマンスとしての「イベント」が両方、eventとしてジャイアントルームに存在したら面白いなと個人的には思っていました。 音楽とパフォーマンスを中心に考えていた稲継は作品・上演の方に意識が強いかもしれないですし、実際に山崎は額縁を持って1時間歩かなきゃいけないということがあったので、メンバーによって意識のばらつきがあると思います。最初は50:50な感じでつくり始めたような気がしますね。 稲継:私は100%、作品だと思ってやってました。 東:あとは、実際来た人でこれ(台本)を意識している人っていうのは、恐らく1割くらいなんですよね。台本を見つけて読んでいるけど、これ自体を意識しているかと言われると分かんないですね。すごいハマって、台本を見ながら……みたいな人もいましたけど、それはごく僅かだと思います。8割くらいは楽しい催事と受け取っているかなと個人的な感触としては思いました。 宮武:記録という意味では作品・上演として残したいとは思っています。催事としてよりも、作品としてどう残すかっていうのを考えていて。当日の実際の運営と、残したいものというのは違うかなって。 皆さん、どうですか? 冨田:えっと、記録を残すとして。今回の上演の記録を残す。 そうした時に、今回は記録として残すべきベクトルが2つあって、上演を外側からカメラで撮った客観的な「上演の記録」というのと、このイベントがどうやってできてきたかというプロセスの記録、つまり「やり方の継承」みたいな部分があるってことですよね。で、とりあえず客観的な「上演の記録」としての写真と映像は十分出揃ってる感じがしますよね。 東:すごい現実的な話に急に!(笑) 冨田:そうですね。若干話がそれてしまうんですが、急に勝手なことを言うと、例えば台本の中に記録が行われることもあらかじめ記されていて、それによって「イベントとして記録されるイベント」みたいな出来事が発生するとか、そういうのがあったりするとしてもよかったのかなと。 東:もうちょっと詳しく....。 冨田:ジャイアント食堂の記録という話を最初に聞いた時に、一番最初は写真での記録をイメージしていたんですよね。どのような写真を撮れば記録として成立するかを考える中で浮かんでいたアイデアとして、例えば台本のタイムラインの中に「集合写真を撮る時間」が入っていたりとか。八戸市美術館のジャイアントルームって、2階のギャラリーから広角で撮ると全部写るんですよね。決められた時間が来たら「はい撮りますよー、こっち向いてください!」って声をかけて、そのときだけ会場にいるひと全員にカメラの方を向いてもらう。皆それぞれ別のことをやっているのだけど全員カメラ目線の集合写真が撮れる、みたいな。 そういう記録のためのイベントを台本の中にあらかじめ組み込めた可能性もあったんじゃないかと。なんでそういう写真がいいかと思ったかというと、青森のことを調べると酸ヶ湯温泉の写真が出てくるんですよね。千人風呂。 【参考写真はこちら(外部リンク)】
東:八甲田山のところにある、混浴温泉の酸ヶ湯温泉ね。
冨田:一つのイベントで最終的に残る写真って、本当に一枚だったりする。せめて2〜3枚くらいってなった時に、こういう写真ってその状況がよく残っているというか。ジャイアント食堂を最終的に象徴する記録として、この酸ヶ湯の写真のようなものをジャイアントルームで撮っていくといいんじゃないかっていうアイデアが僕の中であったんですよね。 東:つまりあれですか、1日の時間の中で「こっちだよー」みたいな時間が生まれる可能性があった。 冨田:そうそう。台本の中に書かれていて、例えば、朝・昼・夜で3回、写真タイムみたいなのがあって。写真タイムは一瞬で終わるんだけど、そういう記録のあり方があるのかなって。どうですか加藤さん。 加藤:それはどっちかといえば、記録というよりは居間 theaterの作品の一部かなって思った。仮にそういうことをやるとして、例えば居間 theaterの(宮武)亜季ちゃんが「撮りますよー」ってやる。その撮ってる亜季ちゃんを僕が撮る。撮ってる亜季ちゃんを撮るのが記録者のスタンスかなという気はしていて。作品の一部として撮られた写真も、当然結果として記録になりうると思うんですけども。 時報を流していたじゃないですか。あの時報みたいな感じで、何時になったらここから撮る、オートで撮るみたいな感じでも面白そうだなとは思った。12時は横から、何時はどこから。で、(その出来事を)知ってる人は見てるっていう状況とかも面白そうだなって。そうすると台本を見ている人が可視化される。知ってる人だけ目線を......みたいなのも面白そうかなって思った。 冨田:今回この記録を、八戸市美術館に収蔵してもらえる可能性があるみたいな話を最初にちらっと聞いた気がするんですけど? 東:収蔵というアイデアは居間 theaterが勝手に言ってたんですが(笑)。プロジェクトとかことをやった時に、何か形にする。それを収蔵してもらうには、買い取ってもらわなきゃいけないと思うので恐らく無理ですが、あげるというか、寄贈くらいはできないかなという話を居間 theaterの中でしていたんですね。「こういう『こと』の作品がありますよ」と寄贈できないか、みたいな裏テーマが創作の中であって。実際それをどうできるのかは、もはや分からないので今このトークをしているんですけども(笑)。 その「こと」を残すっていうモチベーションが、今その話に繋がってきているということですね。 冨田:何か記録として一つのまとまりをつくるには、今回の場合は台本と、出来事が撮られる根拠というか、それが残る根拠みたいものが全部コネクトされていると、記録物のモノとして構造が綺麗というか。クリアな構造になってるといいよなあって。 東:なるほどなぁ、確かに。一つ、私が悩むのは、先ほども言いましたがこれ自体を作品として見ている人がいる一方で、催事として楽しんでいる人がいっぱいいるんですよね。その人たちが、全く知らないところ、気付かないところで、モノとして作品化されていくみたいな可能性ももちろんあって。 そもそもイベントが二面性を持っているっていうのがややこしくしているとは思うんですが。 加藤:二面囲いみたいな(笑)。 東:そう。実際やっぱり面白いのは、来てくださっている方のモチベーションが全然違くて。カラオケをしにきた人と、遊びに来てワークショップをしにきた人と、デートもいた。あと、なぜかカウンターの奥の方でずっとパソコンしてる人とかもいて。ありとあらゆる欲求というか、行為をしたい人がいて。その中で同時進行で、台本みたいなものが進んでいるという変な構造になっている。 冨田さんが今言った上演としての要素、作品としての部分というのと、そうじゃない部分があるのではないかと思って。 加藤:最初に収蔵というアイデアを聞いた時に、「なんかやれることありそうだよね」って話はしたよね。当たり前だけど多分、収蔵される作品ってそもそもアーティストがつくったものであった方がいい。ただ、「こと」を扱う作品の場合、100%純粋にアーティストメイドのものにはなり得ないことが多い。そういう時に、僕らがどう関わるのかっていうのが今回の記録のテーマで。 来場者の8割方の人たちが催事だと思っていたとした場合、例えばその〝催事のまま〟収蔵するってこともあり得ると思うんですね。お祭りみたいな形にして、必ずアイドルを1組呼びましょうとか、ラジオの収録をやりましょうとか。型としての催事を収蔵するっていう。街に収蔵するっていう形もあると思うし。 宮武:祭りとして? 加藤:そうそう。祭りのふりをした作品、祭りとして街に継承してもらうということまでを作品と呼ぶ、とか。祭りにするは半分冗談だけど、そこら辺をどうしていくのか、どう残していくのかで、写真のセレクトも、映像の編集の仕方も変わるところがあるなって。 居間 theaterの記録って毎回難しいよね。分かりやすくその難しさが露呈したのが、今回のジャイアント食堂だったかなって。だから記録の話になるし、面白いんじゃないかなっていうのが今回、あります。前提の話になっちゃった。 |