だれが残すのか、なにを残すのか、どう残すのか:Page④
思い出す、再現するための記録
東:一方で、今回𡈽方くんは準備の動画を延々と撮り続けてくれていました。1週間前から仕込みで入ってから、美術館の2階のところにカメラをセットして、1日ずっとタイムラプスを撮り続けていましたよね。我々が止めるのを忘れて夜中も回っちゃうみたいなこともあったんですけど。𡈽方くんからはどう見えましたかね。今の映像とかも含めて。
𡈽方:僕が把握している1日のことって多分、半分くらいなんですけど。でもお二人が記録に入られて、ずーっと走り回られてて13時間ずっとぶっ通しで撮るみたいなのを見てるだけでも本当に疲れが蘇ってくる感じで。久々に人と対面でやったイベントだったっていうのもあって、ワークショップやるのも皆かなり緊張しちゃったりとか。する方もやる側も。そういう意味で「疲れたなぁっ」ていうのを思い出したりとか(笑)。 僕が搬入の記録を残しているのは、搬出がしやすくするためだったりとか。 東:エッ。初めて知りました。 𡈽方:どういう手順で設置してっていうタイムラプスを見れば、記憶が蘇るんで。それを搬出する前に見て「あっ、これだったな」って。例えば会期が2〜3ヶ月とかの長い展示の時だと、どういう風に設置したのかを結構忘れることが多いので。そういう場合、細かいところは写真で記録するんですけど、手順とかは動画で見る方が、割とその当時の記憶が蘇ってきて。「こうだったな」って確認して、その後に現場に入ってやるということができるので、タイムラプスを撮る癖をつけています。 僕はそういう素材の活用の仕方をしますけど、その見方とか活用の仕方次第で結構色々あるので。タイムラプスはいつ/どこで/誰が/何をやっていたかが一応分かったりする。素材は色々あるに越したことはないかなと思って、やっているっていう感じです。 東:じゃあ、再現をすることが目的なんですか?
𡈽方:記憶を再現する。 東:記憶を再現するために撮るのかぁ。 いや、今の話は再現とか再演の話に繋がってくるなと思って。「ジャイアント食堂」というこのプロジェクト、イベントを残して、さらに今後活用していくことができないかなぁっていうことも少し考えていたんですね。例えばですが、我々が今回やったものをもっと地元の方と協力してつくるとか、中高生と一緒にやってみるとか。祭りか催事か作品かは分からないですが、仮に「もう一度やってみたい」という時に、何が残っていたらいいのかということも、アーカイブの話の中にはあって。 今の話で言うと確かに、どうやってやったかみたいな記録は、記憶を呼び起こされる気がしますよね。 東:改めて言うと、このアーカイブ問題においては、二つのトピックがあるんですよね。一つは、始めのほうに話題に出た、そもそもイベントを何かしらの形に残す時に、作品的に残すか、もっと催事的な部分を含めて残すのかということ。もう一つは、さらにそれを活用したい時にどうあるべきなのかということ。二段階の悩みがあって。
今回のトークと、それぞれ編集してみたものというのは、一回編集してみて、話してみて、どうなのかを考えようという時点のものなんですけど。 𡈽方:個人的には、さっき加藤さんが言われたように居間 theaterがつくったものというのが残されるのが一番だなとは思って。この台本が一番いいアーカイブとして残っているので、先ほど冨田さんが言われたような記録をするっていう項目を足していって。 再演する時にこれをベースに、2回目はこういうことがあったというようなまた新しい台本ができていく、みたいなやり方が個人的には面白いなあって思いますね。補足物として、写真や映像があるというような形で。美術館に渡す方法として、やりやすいというのはあると思います。 例えば、写真と映像の全てを収蔵するとなると多分、ファイリング、ラベリングが物理的に難しいのではと。今回1600枚を(加藤さんが)撮影していて、その全部をラベリングするのは美術館的には難しいだろう、とか。 あとは、美術館に収蔵されるということは収蔵したものを貸出が可能になるので。もし仮にジャイアント食堂を別の美術館だったり施設でやりたいとなった時にどうするのかということも、台本があれば再現可能であるところがあったりとか。そういう一文が何か入っているだけで、これがどんどん進化しながらいける気が個人的にはしていますね。 加藤:さっき話にあった集合写真の撮影も台本に入れると、作品の中に含まれるっていう。 |