場をつくるのか、場からつくるのか:Page⑤広いからこその包容力、制約から生まれる表現稲継:ジャイアントルームを使って何かをやってくださいと言われると、こう、切り取られた四角形の場のことは考える。でも実は場ってそもそも、ジャイアントルームの外枠には八戸市美術館があって、その外側には八戸市があって、もっと行くと青森、東北とかがあって。文脈としての場みたいなのが実はある。それを宮崎さんはHAGISOという点じゃなく、面として谷中にアプローチしているんだと思うんですよね。
森:建築とか、アートプロジェクトもそうかもしれませんが、最初に言葉を決めて、それに沿って中身をつくっていくことが多いと思うんです。でも最近、自分達のプロジェクトを始める時、フワッとしていることが多くなりました。「ジャイアントルームとは」ってチラシに書くけど、実のところわかんない。揺れていることも意外といいなと自覚してきました。やっていくうちに、徐々に「自由だよね」とか、言葉が後から生まれてくるような時に初めて、その「場所らしさ」があるかなと思います。何年かかるのかはわからないですが、最初にハッキリできてなくても、そういうスパンが意外と大事かなと。 初めてジャイアント食堂というイベントをしたぐらいだから、まだ自然には出来なくても、市民や使う人の中で「ジャイアントルームってあんな場所だよね」とか「八戸市美術館はジャイアントルームあるからいいよね」みたいなのが徐々にできるのかなと、結構、楽観的に思っているところはあります。 宮崎:それを聞いて思い出した話をしていいですか。 僕は「まちやど協会」というのをやっているんですが、「まちやど」というのは地域と一体となった宿のことで、それをやっている人たちのネットワークです。 そこで、日本民藝協会の『民藝』という雑誌の編集長の高木さんという方にインタビューに行ったんです。福岡の骨董屋さんをやってらっしゃる店主でもあるんですが、高木さんが言うには、柳宗悦が元々「民藝」という言葉をつくった時に「民藝とは何か」ということを絶対につくらなかった、と。柳宗悦はどう定義していたかというと、「〇〇ではない」とは言っていた。「民藝とはこれではない」とは明確に言っていたけど、「これでなければならない」は一言も言っていないんですって。 でも、後々の人が民藝十か条みたいなものをつくっちゃって、それから民藝が排他的なものになってしまったと。元々は市井の人たちが使う雑器とか器とかを愛でる文化だったのが、これぞ民藝だ、みたいな権威を持ち始めて、そこからつまらないものになってしまったという話をされていて。それってすごくあるなと思ったんですよ。 色んな人たちが参画可能な余地が残っているもの、「なんかよくわかんないけどこういうものなんだよね」っていうのがあって。それを大事にしていくと、そこに参加できる人たちがどんどん増えてくる。だけど、「こうじゃなくちゃダメ」と言われると、そこから弾かれていく人たちにとっては全然関係ないものになってしまう。 僕らも「まちやど」という言葉を「こうです」とあんまり言わないようにしています。「これじゃない」って言い方はよくわかるんです。例えば、ネットワーク型の宿でも、単純にビジネス目的でやってる人たちはいっぱいいる。僕らはこれじゃないです、っていうのは言える。でも、「まちやどはこれである」っていうのは、言った瞬間に思考停止になっちゃう。 それは空間に置き換えることもできて、「ジャイアントルームはこうである」って言っちゃうと、指向性が高い場所になってしまう。「これをやっちゃいけない」ってなると最近の公園みたいで、それはまた違うだろうけど。 でも輪郭はつくっていかないと、捉えどころがなさすぎるじゃないですか。それをどういう風につくっていくかという時に、逆のアプローチというのは参考になるなぁと。 山内:ジャイアントルームも最初、ルールがあった方がかえって使いやすいかなと思ったんですよね。何をして良くて、何をすることには気をつけてほしいとか。それがあった方が使いやすいのかなぁとか、一方で自由な振る舞いを妨げるのかなぁとかということは今でもよく考えていて。いかにそこで気ままに過ごしてもらえるのかを考えた時に、「これいい」「これだめ」みたいな設定じゃなくて、ポリシーみたいなガイドラインができないかと。良い悪いではなく、でも輪郭みたいなものは、確かにこれからもつくっていきたいなと思いますね。 宮崎:そうですよね。公共施設の「キックボード、スケートボード、ボール、ダメ」みたいなのって、ひたすらクレームに応じることになる。「こういう人がいたんだけど取り締まってもらわなきゃ困るわ」って言われた時に、「はいわかりました」って足していって、制約がすごい数になる。 しののめ信用金庫の話に戻りますが、理事長がすごく面白い人なんです。ライブラリーがフリーで使える場所だから、今後どうなっちゃうんだろうねっていう話をしていて。でも、「〇〇しちゃいけない」って書くのはやっぱり違うと。その時に理事長がおっしゃったのが、「いいバーってちょっとした緊張感というか、規律みたいなものが空気としてあるじゃないですか。だけどお客さんは楽しそうにしている。あの空気感をどうにか出せませんかね」って。すごい人だなと思ったんですが。 場のポリシーがしっかりとあるというか。別に明文化もしてないし言ってもいない。だけど客と一緒にそれを形作っていく場のポリシーみたいなものが、どうやったらつくれるんだろうと。 色々やりながら、「ここはこういう場です、こういう思いでつくりました」みたいなカードは一応置いてみました。本当にそういうポリシーがその場に生まれてくるかどうかは、今ちょうど見守っている所なんですけど。チューニングをしながら、こういう思いでこの場が作られているという共有感覚をいかにつくっていけるかが大事だと思うんですよね。 山内:ジャイアント食堂では、居間 theaterがジャイアントルームについての映像をつくってくださったんですよね。それを今でもスタジオで流しているんですけど。それを来館者が見てくれて、「あ、なんか飲食できるんだ……」って。 稲継:あれはやっていいことしか言ってないですもんね。 山内:そうそう。わかりやすく親しみを持って知ってもらえる財産ができたなと思って、流しています。それによって「こういうのはいいんだ、じゃあこうしてみよう」とか。少し自由度が増した感じはありますね。 |